四季を纏う香り
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2026.06.13

29.

四季を纏う香り

 

FASのボディケアライン「ザ ドレープ」シリーズの4つの香りのプロダクト。ただ肌をたっぷりと潤すだけでなく、その香りは、肌にまとった瞬間に美しい情景を鮮やかに描き出します。

YŪGIRI (夕霧)、HATSUNONE(初音)、SAWARABI(早蕨)、KAGARIBI(篝火)。日本古来の香り遊び「源氏香」に着想した、この4つの香りを手がけたのは、アーティスト・和泉侃(かん)さんと、彼が主宰する「Olfactive Studio Ne(オルファクティブ・スタジオ・ネ)」の皆さんです。

和泉さんがアトリエを構えるのは、兵庫県・淡路島。 595年に沈香の木が漂着したという記録が『日本書紀』に残る、日本の香文化の原点のひとつとされる地であり、日本一のお香の生産地として香りの文化を紡ぎ続ける場所でもあります。今回は、そんなFASの香りが生まれた背景にある淡路島を訪ねて旅をしたお話を。

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香りの輪郭を形づくる、淡路島の土と海風

生まれ育った東京を離れ、和泉さんが淡路島へと移住したのは10年前のこと。求めていたのは、都会の喧騒から離れ、目には見えない香りと一対一で向き合える自然豊かな環境でした。 淡路島は温暖な瀬戸内海気候で、日照時間が長く、太陽の光が降り注ぐ恵まれた土地。島の中央にある山を挟んで東側と西側では日照時間が大きく異なり、和泉さんたちが香りの素材として活用する植物を育てている畑は、大阪湾が目の前に広がり、日当たりがとてもよい特別なエリアにあります。 彼らはこの地で、バジルをはじめ、キューバミントやレモングラス、ラベンダーなど、瀬戸内の気候や地中海気候に合う植物を育てています。ユーカリやティーツリーといったオーストラリア原産の植物も、この淡路島では驚くほどよい香りが出るのだとか。

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東京にいた頃は、植物に直接触れながら香料を理解することは難しかったと和泉さんは振り返ります。しかし淡路島へ移り住んで、自ら土に触れ、植物を育てるようになって、香りの輪郭を形づくる背景や理由が、クリアに見通せるようになったといいます。土の質、栄養状態や雑草の有無、さらには収穫時の天候にいたるまで、そうした微細な要因のすべてが、香りのクオリティを大きく左右します。

その風土を特徴づける要素のひとつが、淡路島の地形がもたらす海風です。大阪湾から吹き抜ける海風が、土に豊かな塩味をもたらし、ダイレクトに香りに反映されます。その結果として生まれるのは、ワイルドで力強く、同時にミネラリーで透明感を持つ香り。和泉さんが「僕自身もすごく好きなトーンです」と語るその特別な質感こそが、淡路島という土地が持つ唯一無二の個性なのです。

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思考を研ぎ澄ます、引き算の空間

「海沿いはなんだかざわついて落ち着かないから、制作に集中できないんです」
そう話す和泉さんのアトリエがあるのは、鳥の鳴き声が響く、見晴らしのいい山の上。ここはまさに、集中して創作に没頭できそうな空気に満ちています。生活臭や日常の気配が調香の処方に一切影響を及ぼさないよう、自宅とは完全に切り離された空間。全面を美しい土壁に囲まれたその中心にあるのは、瓦造りの大きな作業台です。

すべてが土で造られたこの空間は、土が自ら呼吸して室内の匂いを吸い取り、電磁波などのノイズをシャットアウトします。まさに嗅覚のため、ただ処方(つまりクリエイティビティ)を書くためだけに特化させた、精神を研ぎ澄ますための部屋なのです。

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「香りをつくるときは、ひとつのプロジェクトについてリサーチした資料や記録写真、素材などしか、作業台に広げません」

ひとつのテーマに深く潜るリサーチ段階では、多くの資料や写真が一面に広がります。ただ、そこに「あれもこれも」と並べすぎてしまうと、どうしても無意識のうちに余計な手を打ってしまう。何のために足した香料だったのか、その本質的な意味が見失われてしまうのです。だからこそ、あえて余計なものを一切置かず、要素を徹底的に削ぎ落とす。
目指すのは、ただ「そこにあるべき匂い」です。

「オリジナリティがあるのに、100年前からずっとそこにあったかのように、最初からその場所に根づいているような香りです」と和泉さんは語ります。

この大きな瓦の作業台は、迷いのないシンプルな構成へと香りを研ぎ澄まし、香りに触れた人がその景色を真っ直ぐに連想できるようにするための思考の場所。ここから「ザ ドレープ」シリーズの4つの景色が形づくられていきました。

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香りが描く4つの景色

着想の源となったのは、日本古来の香り遊びである「源氏香」。4つの香りの中には、日本の繊細な四季の色彩や温度、風景の移ろいがそのまま描写されています。

最初の一幕を飾るのは、秋の静寂の中にたなびく「YŪGIRI 」です。 描いたのは、夕日に反射して煌めく霧のヴェールが一面に広がる、幻想的な秋の情景。朽葉を踏み締めた時のようなドライな土の質感を彷彿とさせるのはパチュリ。 夕陽の温かみのある色彩を、キーノートの青文字(アオモジ)で描きました。 「あえて柑橘類を避け、山椒のようなスパイシーさと酸味を持つ青文字を選ぶことで、淡い夕暮れ時の色彩の移ろいを表現しました」と和泉さん。光の境界線が溶け合うような情緒ある曖昧さへと、まとう人を誘う香りです。

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季節はさらに深まり、しんと静まり返った冬の景色「HATSUNONE」へ。

みずみずしく冷たい雪の気配を描いた「HATSUNONE」。遠くから眺める、土や木の匂いが混ざった雪景色ではなく、手のひらで雪をすくって鼻先を近づけた時のような、臨場感のある雪景色を香りにしました。単なる冷感成分としてではなく、その植物が育った環境だからこその冷気や冷たい質感そのものを表現するために選んだのは、北見の薄荷(ハッカ)とジュニパーベリー。その奥で、雪の下で春を待つ草花や木々の気配をラベンダーやシダーウッドがそっと醸し出しています。「温かみのある香りを提案するのが一般的な冬に、あえて冬そのものの雪景色を肌にまとう試みでもありますね」と笑う和泉さん。それはまるで、清らかな雪のベールをそっと羽織るかのようです。

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凍てついた空気が緩むと、早春の芽吹きを告げる「SAWARABI」へと季節は移ろいます。

春雨の降る朝、雨に濡れて静かに散りゆく桜の儚さと、土の中から蕨(わらび)がそっと芽を出す気配。ローズゼラニウムを基調にくすんだ緑と淡いピンクのあわいが、霧のような湿度感とともに広がります。「日本のテロワール(風土)の本質は、青みと苦味にある」と語る和泉さん。クマリンやトンカビーンが描く日本特有の奥ゆかしい桜の名残に、フキノトウや木の芽のほろ苦さが溶け合い、美しいグラデーションを織りなしていきます。

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そして、秋から始まった四季の巡りは、夏の終わりを告げる「KAGARIBI」へと一巡します。

夜の帳が下りる中、闇を照らすゆらめく炎と、宙に舞い上がる火の粉。「京都の送り火の光景に着想したKAGARIBIは、暑い夏にあえて火のニュアンスを肌にまとうという、4つのなかで最も調香が難しかったテーマです」と振り返る和泉さん。スモーキーなパチュリを軸に、カルダモンやレモンティーツリーが炎のきらめきを添え、焚かれた後に残る炭のような乾いた余韻まで、緻密なバランスでひとつの香りへと仕立てられています。夜の静謐さの中に、橙や黄の灯のような温もりを感じさせる、エッジを立たせた香りです。

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感覚の蘇生

和泉さんが制作の根底に据えているテーマ、それが「感覚の蘇生」です。

原点は、彼自身の体験にあります。香りの世界では、これまでの人生経験が良いことも悪いこともすべてが糧になり、深みへと変わっていきます。かつて自分が触れ、嗅いできたあらゆる香りの記憶が、その人のなかに経験として蓄積されていくからです。自分の個性や感覚に正解・不正解などはなく、「すべてが正解なんだ」――そう思えたことで自身の感覚が蘇生し、自信を持って前を向けるようになったといいます。

本来、嗅覚は「感じる脳」と呼ばれる右脳とダイレクトに繋がっており、想像力や感性、記憶の根源となる領域。けれど、視覚や聴覚から得る情報が増える一方で、嗅覚に意識を向ける機会は少なくなっています。それは、相手の立場に立って考える想像力や思いやりさえも、知らず知らずのうちに置き忘れてしまうことにもつながりかねません。

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だからこそ、和泉さんは意識的に嗅覚へ意識を向けることの大切さを語ります。「 曖昧なものや繊細なものに目を向け、能動的に匂いを嗅いでみる。そのアプローチの先に人間がもともと持っている身体性や、他者を思いやる想像力を見つめ直すきっかけがあると思うんです」と、和泉さんは語ります。

香りが描く美しい景色を心に浮かべながら、ゆっくりとその香りを嗅いでみる。そうして意識的に嗅覚を開いていくことで、いつの間にか忘れかけてしまっていた自分自身の豊かな感性を、心地よく蘇生させていけるのかもしれません。

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Profile

和泉 侃 アーティスト / Olfactive Studio Ne ディレクター

和泉 侃 アーティスト / Olfactive Studio Ne ディレクター

香りを通して身体感覚を蘇生させることをテーマに活動するアーティスト。植物の生産・蒸留や原料の研究を行い、五感から吸収したインスピレーションのもとに創作活動に励む。作家活動と並行し、香りを設計するスタジオ「Olfactive Studio Ne」を発足。調香の領域にとらわれないディレクションで、チームと共に香りで表現される世界の可能性を広げている。

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