海の京都の古代米
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2024.04.09

01.

海の京都の古代米

海の京都の古代米

わたしたちがはじめてこの地を訪れたのは、もう2年ほど前のことでしょうか。振り返るとFASを立ち上げるまでのこの2年間は、京丹後の土地に魅せられ、古代米の力に驚き、その活力を糧に無心で邁進してきた日々でした。今回はそんな日々をちょっぴり振り返りながら、私たちの根幹である古代米、黒米について、少しお話したいと思います。

海の京都
古代米

京都北部に位置する京丹後。おおらかな山と雄大な日本海に囲まれ「海の京都」とも呼ばれるこの地は、古代より多くの神話の舞台でもありました。そういえば、卑弥呼が統治するあの邪馬台国があったのも、ここではないかという説があるそうです。そんな京丹後・芋野の土地が、黒米や赤米をはじめとする古代米を保存・伝承する拠点となったのはなぜなのか今回は、FASの黒米の栽培を担ってくれている赤米保存協会会長の藤村正良さんにお話を伺いました。

赤米保存協会会長の藤村正良さん

奈良時代、平城京へと献上された古代米

今から約60年前の昭和40年、奈良は平城京跡の発掘調査中に「1300年前に芋野から平城京へ古代米を献上した(丹後国竹野郡芋野郷婇部古与曾赤舂米五斗)」と書かれた木簡が発見されました。芋野に住む古与曾(こよそ)という役人が奈良時代に、平城京へ古代米を献米していたのです。

献米記念碑
奈良時代、平城京へと献上された古代米

古代米は江戸時代までの芋野では日常的につくられていたようですが、明治時代に入り白米を輸出するための国策が始まり、色の付いた古代米をつくることが禁止されました。「古代米は白米と比べ生命力が強くどんどん繁殖するから、白米に色付きの米が混ざると価値が下がってしまうというのが理由だったみたいです。」と、藤村さん。その生命力には日々驚かされているそうです。

1300年ぶりに始まる歴史が木簡の地で

1300年ぶりに始まる歴史が木簡の地で

一度は途絶えた古代米の歴史。これを木簡の出土をきっかけに復活させたのが、研究者で郷土史家でもある芦田行雄さん。国策で栽培が禁止される中でも、津島、種子島、総社など一部の地域では、神事の奉納のための古代米だけは栽培が許されきました。芦田さんは、そんなひっそりと作られていた古代米を全国から集めて栽培し、その稲を日本中の米農家に無償で配り古代米を普及したのです。「日本にある古代米のほとんどは、芦田さん由来のものではないか」と藤村さん。

その後、継続的な拠点での古代米保存を考えた芦田さんがその場所に選んだのはもちろん、古代米ゆかりの芋野の地。その際ともに保存協会を立ち上げたのが、芋野で米農家をされていた藤村さんだったのです。今から約23年前のことでした。

極寒の京の冬を超える黒い殻

黒米の色は同じ品種でも、栽培される地域によって驚くほど異なり、寒く過酷な地域では米が自分自身を守るために、黒色がより強く出るのだと言います。極寒の京都北部で栽培されるFASの黒米が深い黒色をしているのも納得。過酷な環境下で米が身を守れば守るほど、成分により豊富なアントシアニンが含まれ、私たちの肌を力強く守ります。

現代の白米では雨風の影響を受けづらいように低めに改良されている稲も、古代米では依然として長く、この稲が長ければ長いほど古代種に近いのだといいます。芋野にある保存協会のアーカイブには、人の背丈ほどまで伸びる古代の稲がずらりと並びます。

極寒の京の冬を超える黒い殻

発酵と科学で過去に光をあてると見えるもの

成分について語り始めるときりがないのでそれはまた別の機会でお話しますが、白米とは比べ物にならないほどの強い美容成分の詰まった古代米。新たな成分、素材が目まぐるしく登場するこの時代に、江戸から続き一度は途絶えてしまった古代米にひとたび発酵のプロセスと科学の力を加えることで、思わぬ効能に出会えたこの経験は、この地にはまだまだ美しい未開拓領域が無限に広がっているということを私たちに教えてくれます。闇雲に新しいものを開拓せずとも、ふと振り返る何気ない日々や過去にこそ、私たちが見逃してきた思わぬ出会いや出来事が、こうしてたくさん眠っているのかもしれません。

発酵と科学で過去に光をあてると見えるもの

藤村さんとお話するのはこれが一体何度目だったでしょうか。美しくも厳しい自然と、温かく誠実な人々とものづくり。京丹後の地を季節の度に訪れ田植えや稲刈りの時間を共にするうちに、すっかり京丹後の不思議な魅力に魅了されているわたしたちがいます。スキンケアのブランドが古代米の歴史を伝える必要なんて本来はないのかもしれないけれど、FASの活動を通して古代米をこれからも絶やさず繋いでいきたいと日々考えています。

古代米をこれからも絶やさず繋いでいきたい